「もし(if)」について考えることは、論理的思考。「もし」という問い立てて考えることは世の中に出ても使える。思いつきだけでは答えられない。だから、知識・経験・想像といった思考をすべて使ってやらなくてはならない。その後も、元文部科学副大臣で現東京大学教授の鈴木寛 先生や、陰山メソッドでおなじみの陰山秀夫先生を交えたパネルディスカッションなど、現行の教育現場の問題点を踏まえながら、どうしていくべきかという熱い議論を聞くことができました。 最後に、この教育フォーラムに参加して、私が感じたことを。 2020年の入試改革に関して、アクティブラーニングについて様々な議論が交わされているが、もっとも大切なことは、どういう仕組みにするかではないと常々思います。 確かに生徒が積極的に学べる制度を作る仕組みを作ることも重要ですが、その仕組みを生かすも殺すも生徒ひとり一人次第なのです。 アクティブラーニングという仕組みの中で学ぶことだけで、本当に主体性を得られるのでしょうか。 ただ大手塾に通うだけでは成績が伸びないのと同様に、アクティブラーニングを取り入れた授業に出席するだけでは、主体性を得られるとは到底思えません。日本のこれまで教育制度を鑑みると、このままではアクティブラーニングの導入という結果だけに満足し、形骸化しかねません。 ○○という問題について考えてみましょう!という投げかけがあってから考えるのは、能動的(アクティブ)なのでしょうか。投げかけがなければ考えない状態は、受動的とも言えないでしょうか。 大切なのは、これまでの”先生に教えてもらう”という受動的な姿勢を、”自ら学ぶ”という能動的な姿勢に変えることではないでしょうか。 理想を言えば、投げかけがなくても、疑問も持ち、それを自ら進んで考える姿勢を持つことが重要でしょう。 MEDUCATE代表の細井がよく口にする『自調自考』の精神と同じですね。 この『自調自考』の精神、すなわち学ぶことに対する能動的姿勢を身につけさせることこそが本来の目的であって、アクティブラーニング導入は手段であることを忘れてはいけません。 では、一人の講師として私になにができるのか。 それは、出会った生徒の意識を変えること。受動的な意識を能動的に変えるきっかけを与えることだと考えています。 MEDUCATEが掲げる”意識改革”こそ、真のアクティブラーニングであることを改めて感じた一日でした。
【著者プロフィール】 丸山 由朗 ( MEDUCATEエグゼクティブ講師 )
上智大学外国語学部ポルトガル語学科卒
大学在学中にブラジルへ留学し、その間にボリビア・ペルー・チリ・アルゼンチンを一人旅で巡った経験を持つ。現在、国語/世界史講師として活躍しているが、ポルトガル語の方が得意であるという噂がある。