先日、『コップに入っている水は、まだ半分ある?もう半分しかない?』で物事の考え方について書きました。
人によって考え方は様々ですが、今回は、”考える”ということについて考えてみたいと思います。
個別指導塾などで時折こんな会話が聞こえてきます。
講師「じゃ、この問1について考えてみようか。」
生徒「・・・わかりません。」
講師「前回やった問題の類題だから、考えればわかるよ。」
生徒「・・・答えはアですか?」
講師「残念、答えはウだね。ちゃんと考えた?」
生徒「はい、考えました。」
生徒は必死に考えたはずなのに、間違えてしました。
こんな時、なにが問題なのでしょうか。
復習が甘い生徒? 教え方の悪い講師?
考えることを求める講師と、考えている生徒。
では一体、”考える”とは何なのでしょうか?
”問題をよく見る”ことでしょうか?
”脳みそを使う”ことでしょうか?
私は、”考える”ことは、”ゴール(=答え)に至るまでに必要なステップを正しく踏む”ことだと考えています。
成績が伸び悩む生徒の多くは、この”必要なステップを正しく踏む”という行為ができていません。
その理由は2つ考えられます。
① ”ゴール”が見えていない
どんなに優秀な運転手でも、行き先が分からなければ、たどり着くことはできません。
受験においては、問題で”なにが問われているのか”を見抜けていないとも言えるでしょう。
不定詞か動名詞かを問う問題で、時制を考えても解けません。
まずは、”ゴール”を見出さなければ、”必要なステップ”は踏めません。
② 踏むべき”ステップ”が不安定
目的地が決まっていても、道順が分からなければたどり着けません。
”ゴール”が見えていても、どんな”ステップ”を踏むべきかわからければ、当然”ゴール”には到達できません。
どうすればその問題が解けるのか、解法がわかっていない状態ですね。
少し抽象的な話になってしまいましたが、”考える”=”ゴールに至るまでに必要なステップを正しく踏むこと”だとご理解いただければと思います。
では、どうすれば”必要なステップを正しく踏む”ことができるようになるのか。
次回、この問題について”考えて”みたいと思います。
【著者プロフィール】 丸山 由朗 ( MEDUCATEエグゼクティブ講師 )
上智大学外国語学部ポルトガル語学科卒
大学在学中にブラジルへ留学し、その間にボリビア・ペルー・チリ・アルゼンチンを一人旅で巡った経験を持つ。現在、国語/世界史講師として活躍しているが、ポルトガル語の方が得意であるという噂がある。